PRで戦争に勝った国
「ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争」(高木徹、講談社、2002)は、広報関連の古典と言っても良いでしょう。1992年に勃発したボスニア紛争(ボスニア・ヘルツェゴビナVSセルビア)において米国のPR会社が暗躍し、圧倒的に不利だった小国を勝利させるお話です。
ボスニア側のハンサムで英語に堪能な外務大臣が、PR会社の戦略に従ってメディアに露出し、自らの正当性を訴え、敵国のセルビアを悪者に仕立てていく。実際の戦場において残虐行為はお互い様だったのですが、わが身を棚に上げ敵を悪魔のように訴え続け、やがて世論を変えていきます。
なかでも特筆すべきが「民族浄化」と「強制収容所」という”パワーワード”の開発です。
第二次世界大戦の記憶がまだ残る欧州で、安易に「ホロコースト」という言葉を使わずに、誰もがナチスを連想する言葉を開発し、これを国際世論に訴えていきます。それがやがてNATOの介入を呼び込み、セルビアのミロシェビッチ大統領を戦争犯罪人として投獄するに至ります。
PR合戦とはいえ、命がけですから容赦はありません。徹底的に敵を悪と決めつけ、ターゲットにされたセルビア側の指導者から、あらゆる弁明の機会を奪っていく様には、恐ろしさすら感じます。
広報とは生き残る手段である
戦争におけるPR合戦とは、敵から正統性を奪い、信頼を奪い、人格を奪い、最後には命も奪います。負ければ奪われるのは自分の側なのですから、そこには血も涙もありません。こうした経験があるからこそ米国では、PRの技術が発達したのだろうとも思います。
現在、多くの企業において広報部は間接部門とされています。
総務や人事が兼務しているケースも多く、広報は、生産や営業を補佐する役割と位置づけられています。しかし、こうした考えもやがて変わっていくでしょう。戦争においては善と悪などなく、「善と思われた」側が善であり、「悪と思われた」側が悪となります。企業間競争でも同じです。説明しなくてもわかるほどの優越性がない限り、相手に良いと思われたかどうかが、勝敗を分けることになります。そして、それを決めるのは広報力です。
認知戦を戦っているか
仕事で戦略・戦術という言葉を用いるように、企業経営には軍事のノウハウが多く活用されています。であれば、やがて企業間競争の中にも「認知戦」ともいうべき戦闘領域があることが意識されるようになるでしょう。これは戦いですから、勝たなければなりません。この領域で負けることは、企業全体の負けにつながります。広報部を間接部門と位置づけ他部門のサポートをさせるのか、それとも認知戦に勝利するための戦略部門と見なすのか。その差は小さくないでしょう。