現代のラグジュアリーとは

スパイファミリーという人気漫画がありますが、このなかで名門校に通う子女たちが「エレガントであれ」という教育を受けています。コメディ的な演出でありつつ、幼少期から「その言動がエレガントか?」と考えさせる教育が印象に残っています。

エレガントであるか?

ココ・シャネル氏は、「エレガントとは抵抗である」と述べたそうです。世の中の同調圧力に屈せず、誇り高く自分らしくあることが、エレガントです。そして、その反対語は貧しいことではなく、下品であることだといいます。私たちもまた、自分がエレガントかどうかを、常に問い続けるべきなのかもしれません。

2024年。フォーブスの発表する世界長者番付で、LVHMのベルナールアルノー氏がトップになりました。世界のラグジュアリー市場は拡大を続け、極めて有望な市場を構成しています。もう一方で、過度の商業主義に流れていることも否めず、実際には大量生産品にロゴを張り付けて、ブランドの権威によって高額で販売するようなやり方も常態化しています。一部の高級ブランドは、もはやエレガントでないのかもしれません。

新しいラグジュアリーとは

本書では、いま新しいラグジュアリーが生まれつつあるとしています。特にZ世代には、地域の文化を背景にもち、作り手の意志や職人の想い、社会貢献といったストーリーをしっかりと持つものが支持されていきます。日本国内でも、途上国の作り手とともに発展してきた「マザーハウス」や、障碍者アートを福祉ではなく現代的な価値へと変えた「ヘラルボニー」といったブランドが成長しています。彼らは社会と人々の新たな関係性を提示し、独自の思想を持って、人々の価値観にも影響を与えています。

ラグジュアリーの本質は文化

実は、これらは決して新しい考え方ではなく、むしろラグジュアリー本来の在り方に近いと言います。19世紀、ウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフト運動は、産業革命によって生まれた画一的な商品群に対抗して、職人の価値を訴え、工芸的な美と日常の暮らしを結び付ける動きでした。彼らの提示した価値観によれば、ラグジュアリーとは金持ちの娯楽ではなく、文化を受け継ぐ職人仕事を残すことにこそ本質がありました。これはむしろ、新しいブランドたちに受け継がれています。

日本の伝統工芸の価値を考える

こうした話を聞く中で、一人の日本人として思うのは、日本の伝統工芸のことです。国内では、典型的な斜陽産業として年々縮小する伝統産業ですが、ここには高度な職人仕事や文化がふんだんのこっています。いま日本の伝統産業にこそ、ラグジュアリーとしての価値が残っているのではないかと思っています。

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