『WHYから始めよ』はサイモン・シネックによる著名なビジネス書です。いま改訂版が出されていますが、これもAIの時代になって、この本の思想の価値が高まっていることが背景にあるのだと思います。
ジョブズが遺した「個人」の武器
スティーブ・ジョブズがiPhoneを創り出したとき、彼は単に「新しい携帯電話」や「持ち歩ける小型のコンピューター」を作ろうとしたわけではありませんでした。 ジョブズは誰もが手にできる高度な情報ツールを作ることで、個人であっても、大企業や国家に対抗できる力を持てることを目指しました。彼は、パーソナルコンピューターの開発以来、一貫して権力に抗い、個人の自由を求めてきたのです。
この恩恵は、現代を生きる私たちに深く浸透しています。私自身、いま個人事業主として生計を立てていますが、パソコンやSNS、インターネットという情報インフラがなければ日々の仕事も営業も立ち行きません。情報革命は、極めてローコストに新しい事業を起こすことを可能としました。個人が、自分の力で生きていける環境は、彼が切り拓いたビジョンの延長にあると言えます。
しかし、当時から似たようなアイデアを持つ競合他社はありました。そのなかでジョブズとアップルだけがこれほど劇的な成功を収め、人々を熱狂させることができたのはなぜでしょうか。 その答えは、彼が単に「優れた製品(WHAT)」を作ったからではなく、人々を鼓舞する「信念(WHY)」を語り続けたからにほかなりません。
ジョブズが体現する「社会への反骨心」や、「Think different(人と違う考え方をしろ)」という強烈なメッセージが人々をインスパイヤしたことが、圧倒的な支持につながりました。アップルのファンは、UIやデザインといった理由からだけではなく、彼らが提示する「世界をどう変えるか」という存在価値そのものを買っていたのです。
人々を動かすWHYの力
サイモン・シネックはまさに『WHYから始めよ』と説いています。
- WHAT(何をやるのか):誰もが明確に見えている製品やサービス。
- HOW(どうやってやるのか):競合との違いや、それを実現する手法。
- WHY(なぜやるのか):なぜ自分が存在し、その事業を行うのかという根本的な存在意義。
多くの企業は、自分たちの語りやすい「WHAT」を中心に話を展開します。しかし、人々を本当に魅了し、感情を動かすのは「WHY」です。 なぜそれをやるのか、なぜやらなければならないのか、その存在価値を真摯に語るリーダーの言葉は、人々に強い印象を与えます。
これは脳科学の視点から見ても合理的です。意思決定を司る大脳辺縁系は脳の最も奥深いところにあり、直感で素早く物事を判断する一方、言葉を扱うことができません。つまり人は直感で意思決定を下し、後付けで理由(WHATやHOW)を付け加えるのです。WHYが強いのは、ロジックではなく、本能ともいえる部分に働きかけられるからです。
人を動かす方法は操縦するか、鼓舞するか
人間の行動に影響を与えるアプローチは2つしかありません。 「操縦(マニピュレイト)」するか、「鼓舞(インスパイヤ)」するかです。
「操縦(マニピュレイト)」に慣れた日常
私たちは、日常生活において、「操縦」されることにとても慣れています。 例えば、ファストフード店に行けば、注文してお金を払い、商品を受け取って退店するまで一連のシステムに支配されています。店側は、効率よく客を動かすために動線を設計し、売りたい商品があればPOPを掲げ、値引きやキャンペーンなどの「操縦」によって私たちの行動を促します。これに抵抗を感じることはありません。 システムに従えば余計な思考を必要とせず、快適だからです。
しかし、これが「人生の一大事」となると話は変わります。人は本能的に「操縦されること」を拒むようになります。例えば、仕事などはその一つです。
仕事を生活の糧と割り切っていれば、手順が決まっていて、時給やルール化された昇給・ペナルティといったシステムがあったほうが良いでしょう。しかし、仕事が人生において大きな意味を持つと感じているならば、働く「意味」や「理由」が無ければ、コミットすることはできません。
安定から「意味にコミットする時代」へ
かつては仕事に求める最優先の価値は「安定と給与」でした。やがて、個人の時代になり「自分らしさ」が問われるようになりました。そして現代では「社会的価値」がクローズアップされるようになり、個人の夢だけでなく「より意味のある、より大きな目標」にコミットすることに価値が高まっています。
この価値の違いは、仕事への向き合い方を根本から変えます。 有名な「3人のレンガ職人」の寓話が、この本質を最もよく捉えています。
ある旅人が、レンガを積んでいる職人に「何をしているのか?」と尋ねました。
- 1人目の職人は、「レンガを積んでいる」と答えました(単なる作業)。
- 2人目の職人は、「教会を作っている」と答えました(仕事)。
- 3人目の職人は、「人々の祈りの場をつくっている」と答えました(使命)。
3人とも行っている物理的な「事実」は同じです。しかし、自分の仕事の背後にある「WHY」を理解している3人目の職人だけが、自らの仕事に「意味」を見出し、情熱を傾けることができます。無意味な労働に人は耐えられませんが、意義のある仕事、自分たちが信じる目標のためであれば情熱を燃やすことができるのです。
西郷隆盛は、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり」と語りました。
明治維新を成し遂げたのは、まさに給与や地位といった操縦(マニピュレート)では決して動かない、人生の意味を追求する「仕末に困る人」でした。彼らを動かしたのは、国家の未来を切り拓くという強烈な「WHY」による鼓舞(インスパイア)だったのです。
私たちが提供する「戦略広報」:物語で人と社会をつなぐ
これからのAIの時代、多くの定型的・技術的な仕事は代替されていくでしょう。だからこそ、これからの時代に最も必要とされるのは、自分たちがどこへ向かうのかという「目的地(ビジョン)」を指し示す力です。
当事務所では企業の戦略広報を支援しています。 私たちの考える広報とは、単にプレスリリースを書いてメディアに取り上げてもらうことではなく、企業の根底にある存在意義(パーパス)に紐づいた「物語(ナラティブ)」を、WEBやSNSを通じて一貫して発信し続けることです。
企業のパーパスを軸にした物語を発信することは、2つの強力な効果をもたらします。
- 外部からの共感の獲得: お客様や社会に対して、「私たちはなぜこの事業をやるのか」というWHYを共有することで、価格やスペックの競争から脱却し、「考え方に共感して選んでくれる」強固なファン(仲間)を増やします。
- 内部(組織)の統合: 自社の誇るべき物語を外へ向かって宣言することは、内部の社員に影響を与えます 。自分たちの仕事の「意味」を再発見した社員は、単なる作業要員から「使命を持つレンガ職人」へと変わり、組織は一丸となって同じ方向を向くようになります。
ブランドとは、かっこいいロゴを定めたり、CMに巨額を投資して認知を拡げることではありません。 自分たちの「WHY(存在意義)」を一貫性を持ってコツコツと発信し続け、社会との信頼関係(パブリック・リレーションズ)を築き上げていくプロセスそのものなのです。
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