『宗教を生み出す本能』は、生物学者が書いた宗教の本というやや変わった内容です。
利他的な行動は、生物の本能
世のため人のために働く、というとどこか人間的で、自分のことしか考えない人は野蛮なイメージで見られます。しかし、実際はそうではないといいます。例えばミツバチは女王を守るために自ら命を捨てますが、このような自己犠牲の行動は多くの生物にみられます。
多くの生物は、生き残るために群れを作ります。
群れの内部では利己的な個体が優位に立ちますが、外部に対しては利他的なグループのほうが優れています。人間は、荒野のなかで孤立して生きていくには弱すぎ、群れを離れることはすなわち死を意味しました。集団を維持することが生き残りのカギとなる世界では、利己的でルールを守れない個体は淘汰されていきました。
自我があるなかで、自己利益を犠牲にできるか
ミツバチのような単純な生き物であれば、DNAに命じられるままに命を捨てることができますが、人間には自我があり、自らが犠牲になってまで他人に尽くすことは簡単ではありません。そうしたなか、共同体を一つにまとめるために必要だったのが、超自然的な存在や自己犠牲の美談です。やがてそれは、宗教という形になっていきます。
現代の風潮のなかでは、自己犠牲というのは流行らないかもしれませが、ほとんどの強い組織というのは、利他的に振る舞う文化が根付いています。時折、一体感の強い会社のことを「宗教のよう」と揶揄することもありますが、利他とはある種の自我を超えた心境なのですから、周囲からみれば異常に見えるのかもしれません。
理念やパーパスへの共感が、強い組織を作る
40代~50代くらいの世代は、終身雇用が前提でした。会社は、自分の生存を保証してくれる貴重な共同体なのですから、利他的にふるまう動機も強くありました。現在では、会社への帰属意識は薄まり転職や独立のハードルも下がっています。孤立しても、WEBやSNSを通じて社会参加することも可能となりました。自己利益を犠牲にしてまで、集団でいることの意味は希薄になっています。組織に利他的な行動を根付かせるのは簡単ではありません。ですから大きな使命、ビジョンやパーパスといったものへの強い共感が、より大切になってきたのでしょう。
ちなみに個人的な感想ですが、利他的な「お人よし」がきちんと出世できるかどうかは、その組織の健全性を図る物差しにもなるように思っています。
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